日本の美を体現!・・感動の一日・・
狸竿おやじのブログ
12/12/12
この日、私は、京都の川島織物セルコン(1843年天保14年創業)本社工場と織物文化館(8万点にもおよぶ歴史的織物等を収蔵)に、ご招待して頂きました。私自身、綴れ織を間近で見るのは初めてで、伝統工芸師の職人さんが指先(爪先は綴るために何筋もギザギザの溝になっていた)の感覚で織り上げていく帯、・・・織物の下に差し入れた鏡越しに見えた帯表面の美しさは表現できないくらい素晴しいものでした。・・・1日に織れる帯の幅は3cm幅位いらしく、織物は芸術作品でもあり日本の美を改めて認識致しました。・・平成20年11月1日に天皇、皇后両陛下が同社に御来啓された際、綴れ織をご覧になり私同様感動なされたかと思うのは、
・・・恐れ多いかも・・・
工場内では、何人もの職人さんが30メートルにもおよぶ某所の緞帳を織上げていました。某所と云うのは、ムチャ気になりましたが、手織りしているとは思いもよりませんでした。表面柄が垣間見えたので・・・仕上がったら何処かの舞台でお目にかかれるかも?・・・
織物文化館に招かれた私の眼に最初に映ったのは、鋏みで切り裂かれた一枚の綴れ織!1916年・宮内省からのご用命の綴れ織・・・「春郊鷹狩」・・・7人の織手さんが織り始めて半年(全体の5分の1完成)が経ったある日、染色の一種に退色の兆しが見受けられ、それを発見した三代目川島甚兵衛の妻、絹子夫人が「これまで築いてきた、ものづくりの信用と先祖累代の名誉が一番」と考え、織手が帰った夜遅く織場に降りてきて経糸を切断した。
「手が震え、泣きながら鋏みを、ひと切り、ひと切りいれた」
この時、絹子夫人の心情を考えると胸が熱くなる感動を覚えた。このことが川島織物の妥協を許さない「ものづくりの基本精神」
・・・「断機の戒め」・・・善・・・として後世に受け継がれていく。
私達、建築に携わる者としての基本精神も・・・信用の礎は「まこと」から始まることを改めて思いました。本当に良い勉強をさせて戴きました。
川島織物セルコンの佐藤様、LIXIL肥田様、飯島様、ありがとうございました。